12/01/2006

Takada Keihoo

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© 高井あきひろ
http://www004.upp.so-net.ne.jp/a-takai/keiho.html

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Takada Keiho, Painter, (1674~1755)
Ceiling Painting at Temple Shinraku-In

  信楽院天井画: 雲龍図 



「高田敬輔(1674~1755)」について

高田敬輔は、江戸時代中期の画家で、私の母方の先祖に当たり、徳左衛門隆久と名乗っていました。
敬輔は号で、この他に竹隠斎、梅桃老人、眉間毫翁という号があります。
(敬輔は2代目高田徳左衛門、私の祖父は12代目高田徳左衛門)

高田家は、清和源氏の祖、六孫王経基の次男源満政の流れをくむ尾張源氏高田氏族で、戦国時代~
安土桃山時代には織田信長の家臣でしたが、江戸時代に入ってからは仕官せず、苗字帯刀を許されて はいましたが町人として暮らしていました。敬輔の曾祖父の代に近江日野へ移住し製薬業を家業として いました。

敬輔ははじめ独学で絵の基本を身につけた後、京狩野四代目狩野永敬に師事し、また雪舟の画法を学 んで高田派といわれる画風を生み出しました。門人には曽我蕭白、月岡雪鼎、島崎雲圃ら著名な画家がいます。敬輔自身も当時は高く評価されており、晩年日野に隠棲しなければ、狩野山楽や海北友松にも比肩する大家となっただろうとも言われていました。朝廷や幕府からの依頼で絵を描くことも多かったよう で、その功績から従八位上豊前大目に叙せられました。また浄土宗の仏理にも明るく、「無量寿経曼陀 羅図」や「選択集第十六章之図」をはじめとする仏画も多くみられ、62歳で法橋、69歳で法眼に叙せられ、 以後「高田法眼」と称しました。

敬輔は1755年に82歳で没し、その後次第に忘れられていきましたが、1970年代に入って、ボストン美術館にあった門人・曽我蕭白の絵が再評価される中で、その師として、ボストン美術館研究員のマニー ・ヒックマン氏や京都工芸繊維大学の土居次義教授(故人)により研究が開始されました。最近では、滋賀県立近代美術館主任学芸員の國賀由美子さんや学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程在学 中の山本ゆかりさんが研究をされており、海外では、ヒックマン氏がアメリカで研究を続けておられます。

代表作は、戦国大名蒲生家の菩提寺である浄土宗の仏智山信楽院大松寺(滋賀県蒲生郡日野町大字 村井)本堂にある天井画で、雲龍図(18畳)、八大竜王図(12畳)、韋駄天図(12畳)、飛天図2面(各 6畳)、蓮華・蓮弁・楽器・瑞鳥図(18畳)からなります。


Another Dragon 「龍図(降龍)」
78歳作 Painted at age 78




Daruma    「達磨図」 
 紙本墨画、日初寂顕賛 




More Paintings by Takada Keihoo
*高井章博が所蔵する高田敬輔の画幅

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Daruma Museum, Japan

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